塾長のブログ

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寝台特急「富士」


ブルートレイン「はやぶさ」「富士」のラスト・ランが話題になっている。「富士」には思い出がある。

大学を受けるために、西鹿児島駅発の寝台列車に何人かの友人達と乗り込んだ。その列車が「はやぶさ」であったか、別の寝台列車であったか、記憶が定かでない。翌朝、岡山駅で新幹線に乗り換えて東京に向かった。生まれて初めての上京であった。
東京では、学校が受験生用に旅館を借りてくれていた。そこには30人以上の同級生がいて、約1週間、奇妙な共同生活をしながら、受験に臨んだ。そして、受験を終え、「寝台特急富士」に乗り、帰りの途についた。当時の「富士」の終着駅は西鹿児島駅で、東京・鹿児島間を約25時間で結んでいた。
夕方6時ごろに東京を出発した「富士」は、翌朝目が覚めると広島県を走っていた。到着駅の西都城駅に着くのは夕方の6時。まだ12時間も乗らなければならない。大分駅を過ぎてからの日豊本線の長いこと。何人かの友人も途中の駅で一人、二人と降りて行き、残ったのは2,3人。話しの種も尽き、疲労感漂う中、ただひたすら列車に揺られていた。

2週間後、合格発表を見に再度上京。上京に際して母親が、公衆電話用として10円玉の入ったビニール袋を3つ持たせた。1000円近くはあったろう。当時は、東京から鹿児島に公衆電話から電話をすると、心臓の鼓動と同じくらいの速さで10円玉が落ちていった。しかし、さすがに3袋は多すぎると思ったが、素直な私は母親に従った。運よく合格。電話をすると、母親は言葉に詰まり会話にならず、案の定、10円玉は一袋も消化できないまま、持ち帰ることに。諸手続きを済ませた後、その日の夕方再び、「富士」に飛び乗り、家を目指した。 2泊1日の弾丸トラベラーだ。
気が遠くなるような日豊本線の旅を経て、24時間後に西都城駅に着いた。そこから各駅停車に乗り換えて、今は無人駅となっている故郷の駅で降りる。駅からのまっすぐな道を歩いて交差点を曲がると、家の木戸口で私を待つ親父の姿が見えた。

何十年も前の、春分の日の頃の話である。

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